青い花の布団で寝る

HP70(平均値)

高校を卒業して④

高校での友人関係の歪みを自分のせいにする理由が見つからないと思ってしまう。

 

わたしは学ぶことが好きだ。

これを共有できる人が少なかったことを残念に思う。

大学に入学し楽しく話せる友人が増えることを願う

高校を卒業して③

ねえ人間関係はどのようなバランスが正しいのですか

馬鹿らしいクラスメイトが自分を売り込むことに必死な姿を鬱陶しく思い、その一方で自分の興味のあることに没頭し、大切な友人と楽しい時間をじっくりと過ごすことは良いことではないのですか

 

他人に興味がないということはいけないことなのですか

高校を卒業して②

なんで楽しくなかったかはもうハッキリと分かっているのだ。

主観と客観で捉え方がかなり変わる問題だとは思うし考えるだけで泣きそうになってくるが

 

簡単に言えば学校のほぼ全員と気まずい関係をずっと継続していた

学校中の人と仲良くなるわけではないしこういうものなのかと考えたけど

高2までの人間関係と比べ明らかに悪化していた。

心当たりはない。文化祭に非協力的であったりまずいことをしなかったわけではないが理由のわからないあまりにも辛い日々だった

1日誰とも話さない日もあった

辛かった

ここに書いて気づいたが私は辛かったのだ

確かに、私は他の人よりも精神年齢が高い自信はあったし賢いという自信もあった

でもこんなことを考えていたのは結局は自分を慰めるものでしかなかったのかもしれない

高校を卒業して

私は3.15に高校を卒業しました。

 

高校はどうだった?とこの間母に聞かれた。

んー、あんまりかな(笑)と答えた。

これが率直な感想であることには変わりはない。でもこれで終わりにしちゃいけないなと思ったのでこのブログにちんたらと綴りたい。

 

早くお友達や同じ学部の先輩を作らなければ。

相談相手の不足モンダイが発生することは目に見えている

第二外国語でイタリア語を選んだのですが

それによって専攻が一気に絞られてしまった

=(^.^)=

今入ろうかなと考えている美美はイタリア語で問題ないのだが

哲学や倫理学にはドイツ語やフランス語が必要だと知って…。。もちろん入れないことはないが独学でやるのは大変そうだなあ!!!

来年の今頃はしっかりやりたい専攻が決まっているのかなあ

感動と衝動買いについて

ある本で(あとでちゃんと書く)

感動とは事後的なものではなく、

胸がドキドキしたり鳥肌が立つなどその場で起こる身体的なものであると読んだ。

 

これを買い物に当てはめて考えてみたい。

衝動買いという言葉がある。

よく、可愛い服を見つけて目がキラキラとしたことが自分でもわかったりすることがある。(=上記の感動の定義と同じ)

でも、これは私だけではないと思うが

衝動買いは失敗することが多い。後になって、

あれ…なんかさっき感じたあの気持ちは…?

と首をかしげる羽目になるのである。

これはその対象=感動の実体

を手にしたことで初見で感じた新鮮さや発掘したことに対する感動が薄れてしまうからだろう。

 

それに対し、映画や美術作品は

意識しなければ2回接触することがないため、身体的な反応が良いイメージのまま残り、衝動買いのような残念さがない。

 

それでも、これを買うと決めて

リストアップしたものを買っても満足度は低い気がする。買い物は狩り要素があるのかな。