青い花の布団で寝る

HP70(平均値)

 私たちは、けっして刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それはきっとその通りで、みじんも嘘のないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起こしているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、あの山の山頂まで行けばしめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。きっと、誰かが間違っている。わるいのは、あなただ。

太宰治 女生徒)

 

どいしゃ②

友人と「私たち家族みたいだね」と話した事がある。この表現が比喩であることは言うまでもない。逆に、年に数回しか会うことのない血の繋がった親子であっても「私たちは家族ではない」と思うことはないだろう。家族の理念型として血縁の有無が判断の要因のひとつであるのは確かだ。だがそれ以外にも私は、人が精神的、金銭的に互いに支え合うことで生活を営むことも必要だと考える。サザエさんのマスオさんと波平や、養子縁組で結ばれた親子に血の繋がりがないのにも関わらず私が彼らの関係を家族であると感じるのは互いに必要不可欠な存在として接していることを知っているからだ。

どいしゃ①

 私たちの世代は学校や家庭以外に、SNS上にもバーチャルの社会を作り上げている。SNS上の流行は私たちの行動に影響を与えることが多々あるが、私は今までは素通りされていたようなイベントが突然激しい盛り上がりを見せるようになったことに違和感を感じる。身近な例は若者のハロウィンでの仮装だ。当日には、様々な写真がSNS上に載せられることが伝統のようになってきている。元々は秋の収穫を祝い悪霊を追い出すという宗教的意味合いの強い行事である。しかし、現代では若者はそのような明確な理由なしに、SNSという社会で生きる1人としてこのイベントに参加しているという点で社会的事実に拘束されていると言える。

記憶しておきたいこと

今日、この大学に入ってよかったと思えるほど素敵な人に出会ったので忘れないように書いておきたい。自己満です

 

吹奏楽団の口上練習のために、音楽練習室へ行った。そこに、知らない女の先輩がいたが部の方だと思い言われるがままに学生証を渡した。その女の先輩は私の学生証を持ったままどこかに行ってしまい、わたしは練習室でひとり待っていたが一向に帰ってこない。

15分ほど経ち不安になっていると、眼鏡の男の先輩がドアを開け、ドラム練習をしていいか私に尋ねてきた。曖昧な返事をしている私を不思議に思ったようで経緯を聞き、私に椅子をわたし、待つように提案してくれた。

学生証に対する不安、まだ入ってもいない吹奏楽団に迷惑がかかってしまうのではないかという不安、男の先輩に対する申し訳なさ、次の必修の授業への不安、何もわからないというやるせなさでいっぱいになった。

結局、カギの差し替えだということがわかったが、解決の方法も見つからず先輩と私は語学に行くことになった。隣の教室だった。授業中、ずっと 心の中で文字通りはぁーあと思っていた。

授業が終わり次の教室へ行こうとすると先輩から電話がかかってきた。カキが見つかりわたしの学生証が行方不明になった理由も判明した。安堵。感謝。

私はオランジーナの美味しそうなやつを買った。例の音楽練習室に行き、カギを返し、学生証を受け取り、無事終了。

神ですね!と言ってレモンジーナを渡してお別れした。別れぎわ横目でレモンジーナを飲んで歩く先輩を見た。私は今トンカツを食べたい。

メモ

授業サボるのは1ヶ月に1授業まで

自然科学系以外はオールAを目指す、2つはSをとる

宿題は本気で取り組む

ばいば

春休みが終わろうとしている

 

2.23に受験の結果が出て、そこからの約1ヶ月は映画を見たりライブに行ったり友人と遊んだりして 人生の夏休み(short.ver)を満喫した。

あ丁度一週間後だ入学式

一週間後には全く違う生活が始まり新しい友人ができている(かも)と考えたら不思議。