青い花の布団

つかいこなせてません

愛がなんだ

こういう井の頭線とか吉祥寺ぽさを感じる雰囲気の映画は予告やポスターに惹かれてよく見る。そういう作品は特に展開がなく淡々と進んでいくことが多い。今回劇場で見た「愛がなんだ」もこれといった事件が起こったりするわけではなく静かな映画であるが、ジワジワと心を掘っていって見終わる頃にはどっと疲れてしまった。でもなんだかこの映画、私にとって大切な一本だなと感じた。(当分見返したくはないが。笑)

まずはあらすじをコピペ&添削。!

28歳のOLテルコはマモルに一目ぼれしテルコの生活はマモル中心となってしまった。仕事中、真夜中と、どんな状況でもマモルが最優先。仕事をクビになっても、友だちから冷ややかな目で見られても、とにかくマモル一筋の毎日を送っていた。しかし、そんなテルコの熱い思いとは裏腹に、マモルにとってテルコは単なる都合のいい女でしかなかった。テルコがマモルの部屋に泊まったことをきっかけに、2人は急接近したかに思えたが、それも束の間、マモルはテルコとは正反対のワイルド系のアラフォーのスミレのことが好きだと発覚。ぎゃー。ラストはテルコがマモルの幼馴染と二人きりで飲みにいくことになって、マモルはそれを普通に見送るけど結局はテルコはそうでもしてマモルにすがっていたいだけ。はぁ。こんな感じ。

私に刺さったシーンを書く。

・マモルがテルコに対して「俺たちもう会うのやめよう」って言ってテルコがマモルに、自惚れすぎだよまだ私があなたのこと好きだと思ってるの?と言ったシーン

→えええ。よく言えたなあ。キャラクター的にこんなこと言えると思わなかった。。それでマモルが「なんだよ俺恥ずかしいやつじゃん、でもよかったぁ」って言ったのすごく寒かった…。それまではマモルにすがって彼女みたいな妻みたいな自己満足の愛し方をしていたテルコ痛いな怖いなと思ってたけどこのシーンでマモル残酷だなと思った…。マモルには、テルコどう考えても俺のこと好きじゃん、(好きとか恋とか何かわかっていなくても)って変な自信持ってる方がよかったな。むしろこの関係を早く終わらせたくて発言してるならいいけど言葉を鵜呑みにしてたら馬鹿すぎる…。マモルがスミレさんとか他のコミュニティの人と会話してる時とかに表れてたけど彼は意外と人に流されやすい人なんだなと。

・テルコが葉子と喧嘩して最後に「葉子ちゃんも寂しくなる時ってあるの?!」って聞いて葉子ちゃんが「あるに決まってるでしょ!私をなんだと思ってるのよ」と答えたシーン

まぁ上のままなんだけど、このシーンとても良かった。というのも、最近私自身がこういうこと考えたところだったから。

言語は、人間同士が発話したりテクストを読むなどのコミュニケーションのために使われる。その際には言語を発する側の主体的な人間になることも、すでに相手によって組み立てられた言語に意味を見出す受け手側になることもある。その二者間の国籍、年齢、生まれ育った地域が異なればそれぞれに正しいと考える文章の受け止め方が異なることはよくある話であるが、類似した環境に置かれている二者間においても解釈が異なることがある。その問題を、文章という大きな単位に対する解釈の違いと捉えても解決はできない為、語や形態素といった小さな単位に分けて、どの部分で認識に差異が生まれているのかということを考えることが有効である。そうして、日本語としての正確さという面で優劣があるとしても、言語を論理的に分析して互いの文法のルールを受け止めることによって相手の伝えたいことをより緻密に理解できるようになると考える。

フィデルカストロらによって指導されたキューバ革命は、ラテンアメリカ史における決定的な反動であったわけだが、なぜこれほどまでに進展し影響力をもったのであろうかと疑問を持った。様々な要因が絡み合った結果であると思うが、授業や文献を参照するに、フィデルが大衆を置いてけぼりにすることなく、明確なビジョンを持って大衆一人一人を革命に参加させるようにした、また可能にした絶え間ない努力の結晶であるとわかった。例えば、革命前の一九三三年のマチャド政権ごろには、国費である税金を政治家が自らの利益にしたり公共事業と名を打って国会議事堂や学校を多く建設したが、政府の役人や関係者の儲けとなり、また米国人しか入ることが許されない場所があるなど利己的な政策で、ますます労働者とブルジョワの格差は広がり、国民は怒りにくすぶり政府との壁は固くなった。それに対し、カストロらは国民が人間らしく生きることができるための制度を制定した。その中で私が興味を持ったのは、識字キャンペーンと、黒人や先住民の人間的な権利を表明したことである。私は、識字ができるようになることは人間の視野を広げ、また自らの感情を言語化できるようになるなど単に頭脳的な発達にとどまらない無限の効果があると考える。そのため、カストロがこの運動を実施させたことは革命を正しく方向付けることにとても有効であったと感じる。実際の識字キャンペーンでは若者がボランティア教員となり、山奥などにも出向いて人々に教育を普及していったという。「祖国か死か」という言葉を掲げていたというから、この運動は単に民衆の非識字者を根絶する目的だけでなく、字を読み書きできるようになることによって民衆が革命の一員と自覚させる目的も伴っている。正直、私はキューバ識字率は高くないのではないかと考えていたのだが、現在99.8%もあるということで日本や中国よりも高く驚いた。現代のキューバの教育水準が高いことは、このキャンペーンのおかげと言えるかもしれない。また、黒人や先住民に対する人種差別を撤廃する努力は、大きい意味があっただろう。だが、人種問題は根強く革命によって容易に改善されたり方向が一致することは難しい。

 ここで、授業で扱った「人種差別はどうしたらなくなるか」に関する三つの問いについて、自分なりに考察したいと思う。まず、一つ目の「人種差別の気持ちさえなければ人種概念は無害か?」ということである。これを、性別の概念と比較対照して考えてみたい。性別は、染色体の違いで科学的な差異が立証されており、例えば男性の方が体力がある→力仕事を任せやすい、また女性の方が右脳と左脳間の情報の往復スピードが速い→マルチタスクに長けているなど、科学的実証に基づいて違いを利用できる側面がある。しかし、人種の場合科学的実証は存在しない。「黒人は身体能力が高い」などというポジティブなイメージならまだ危害がないにしても、根拠のない固定観念で人種を捉えることには、危険が伴うと思った。次に、「人種概念を使わなければ人種差別は解消するか?」という問いについてである。二〇〇八年の、合衆国憲法文書が署名された町フィラデルフィアで行われたオバマ元大統領のスピーチを踏まえて考えたい。「白人たちは、この国に来た時から誰の助けもなしに懸命に働いてきたのに、自分たちの仕事が海外に奪われてしまうのを何度も目にしてきました…この人たちは、アフリカ系アメリカ人が良い仕事に就いたり、良い大学に入学したりするのは、特別扱いを受けているからだと聞かされると、『フェアではない』と感じるのです。」とオバマ元大統領は語った。私は、この演説やトランプ大統領の支持者の話などをテレビなどで目にして、現代にも残る黒人への差別は、主に若者に当てはまると思うのだが、もはや黒人の血が入っているなどの人種に対する嫌悪、憎しみは関係なしにそのような「グループ」が保護されることによって自分の特権が奪われ貶められたことによる焦りや憎しみなのではないのかと思う。だから、現代で人種概念を使わなければ差別が解消するとは思えない。特定の人種に対する怒りというのは見かけであり、実際には自分の生活に対する不満を外側に向ける対象として人種概念を利用しているのではないかと思う。三つ目の問いは、「日本に存在する人種差別と私たちはどう戦うべきか?」ということである。日本国内での人種差別というとヘイトスピーチがはじめに思いつく。これを直接的に阻止するほど一人一人に大きな力はないが、昔に比べて世間は人種差別に関するワードに敏感になり、差別は悪であるという気持ちが広まっていると思う。

「未だ沈まぬや沈遠は」という軍歌となって有名になった軍艦松島の水兵を描いた「黄海之戦我松島之水兵臨死問敵艦之存否三枚続」(小林清親画)で、将校が剣を持っていることを指摘する。本来は海戦の指揮には刀は不要なはずだが、将校=武士的精神=刀というイメージを鑑賞者、すなわち国民全体に定義付けさせるために事実とは異なる描写を故意にしている。戦地に赴いたことのない国民に大して、軍隊を「武士」と結びつけ、勇敢で攻撃性をもつ人物として具象化させようとしたのであろう。        

絵画という芸術媒体も軍歌と同様に、戦争を美化したり日本という国が強大で正義感に溢れている国であるということを国民全体に盲信させるために利用されていたことがわかった。製作者も、芸術性に富んでいる作品よりも強化性や報道性という面を強調している。本来、芸術というものは、宗教画や歴史画などある程度図像学上の定められた解釈を必要とするものもあるが、鑑賞者の自由な解釈で見ることが許されているし、その時の感情で同じものを見ても違うもののように見えることもある、自由で開かれたものである。その性質が芸術の醍醐味と言えるだろう。しかし、講義を聞いたり資料を読んで分かったように、戦時下における芸術作品は、日々民衆の目に触れながらもそれらは個人個人に向けられていたものではなく、「挙国一致」や「新しい国民」を作り上げるための国家のための芸術であった。そもそも、芸術作品と呼ぶことすらふさわしくないだろう。音楽は戦争推進に多大に貢献し、戦時下を生きていた戦争があることが当たり前であった子供たちに兵隊になることへの憧れを植え付ける役割などを果たし、絵画は日本が諸外国よりも優位であることや武士イデオロギーを賞賛する役割を果たしていた。現在身の回りにある私たちの生活に彩りや楽しみ、また学びを与えてくれる音楽や絵画について考えさせられた。

国文学専攻を志望する以上、作家は何故「書く」という行為をするのかを考えなければならないと感じ、J-P・サルトルの「文学とは何か」を読んだ。文学論というよりも哲学書に近い難しい内容であり、本来の意味が理解できたかは自信がないが、今の時点でこの本を読むことができたことは財産になったように思う。
本文の「何故書くか」について書かれた章について述べていきたい。月や星などの景色を我々は知覚することによって存在させることができる。つまり、我々は《発見》することができる。しかし、それは同時に我々がそれらの製作者でないことを意味する。これを芸術的創造に当てはめて考えたい。サルトルによると、芸術創造の主な動機の一つは、世界にとって我々自身が欠くことのできないものであると感じたいという欲求である。このことはどのようにして可能になるのか。
我々は、なにかを製作する立場である以上、「終わり」というものがない。自分の製作活動を意識すればするほど、純粋な意味での《発見》は不可能となり、過程を知りすぎているゆえ、その作品を自分の規制の中からでしか判断ができないのである。具体的に「書く」という行為に当てはめて考えると、作家は自作で主人公になにが起こるのか知らなくとも、単にまだそなことを考えていないというだけで、空白のページという未来は、自分自身の意志であり計画であるため、客観的に見ることは到底できないのである。この時点では創造とは製作の不完全で抽象的な一つの契機で、他人のための芸術にしかなり得ないだろう。では、どのように作者は欲求を満たすことができるのか。そこで、読者の存在が不可欠なのだとサルトルは逆説的に述べる。読者が本を開いて作者を認めるという行為を介して、初めて自分が存在することを《発見》できるようになるのだ。
最後になったが、私は国文学専攻に進学したら、太宰治三島由紀夫を研究していきたいと思う。また、近ごろは邦画にも関心があるので、この専攻の自由な空気感の下、さまざまな分野について貪欲に学んでいきたいと考えている。

 犯罪被害者は、例えば交通事故においては実際に巻き込まれた被害者とまた被害者の遺族も含む。犯罪被害者を研究する目的としては、犯罪に巻き込まれないため、犯罪をなくすため、被害者の救済や回復の支援をより効果的に行うため、修復的司法に役立てるためなどが挙げられる。修復的司法とは、犯罪に直接関係のある被害者・加害者・地域などの話し合いにより、干潟・加害者の関係を修復することによって司法の実現を志向する活動のことである。決して、被害者の落ち度を探して状況を改善しようとすることは目的としていない。犯罪被害者は、死や深刻な負傷、身体的保全が害されたことによってトラウマ(心的外傷)を負うことがある。生物学的反応としては、ホルモンや自律神経のバランスに異常が起こったり、海馬の萎縮が起こる。また、極度の恐怖や無力感、絶望といった症状が現れる。トラウマを原因とする精神症候群のことをPTSDという。阪神淡路大震災地下鉄サリン事件を契機として、元は医学的な専門用語だったものが一般にも広く知られるようになった。基本症状としては、まず再体験が挙げられる。具体的には、体験が繰り返されるように感じたり、フラッシュバックが起こることを言う。また過覚醒というものがあり、睡眠障害や集中困難などが起こる。PTSDと診断されるには、それらの症状が認められるだけでなく、再体験があること、死の否認や人生のあらゆる事柄(仕事や家事、趣味など)に無関心になる「回避・麻痺」という症状があること、過覚醒があること、それらが一ヶ月以上持続しているという基準が設けられていて、それが診断の条件となっている。PTSDは一年以内に自然回復する場合も多いが、20%〜40%は長期間持続し、また自殺のリスクも高くQOLは低下してしまうという例がある。治療法としては、大きく二つが挙げられる。一つ目は、認知行動療法である。トラウマを語らせるなど回避している状況に直面させあえて暴露を行う。例えば銀行強盗の被害者を銀行に行かせ、何も起こらないことを体験させる恐怖条件付けの再学習もこの療法にカテゴライズされる。二つ目は、EMDRと呼ばれる方法である。トラウマ経験を想起しながら眼球運動を行うことを指すが、必要性とメカニズムはわかっていない。

 私は、PTSDとして診断されない激しい悲しみや精神的苦痛、虚無感などは精神医学的にはどのような言葉で表現されるのか、また治療法はPTSDと異なるのか疑問を感じた。PTSDと診断されるには「外傷的な体験に暴露されたことがある」という前提条件が欠かせないのだが、予期せぬ死は該当するにも関わらず、重篤な病気による死亡など十分に死別することが予期された場合の死別体験はこの条件から外れPTSDと認められないことが多いという。文献を参照すると、このような基準から外れたものを表す言葉として病的悲嘆反応という概念が存在することがわかった。ヒステリー症状や睡眠障害、幻覚症状など症候学的観点からみればPTSDと合致する。それにも関わらず、一般に知られていて、治療法も試行錯誤され、専門家からの援助の機会もあるPTSDに比べて病的悲嘆は基準(かなり形式的)から外れているというだけで専門家からの援助が乏しく、一般的に認知が低く理解されにくい、それゆえ回復への道のりは厳しいものになってしまうということは問題である。「どれくらい悲しいか」という主観的な感情を基準にやみくもにPTSDの診断の範囲を拡大することはふさわしいことではないが、基準によって抽象的にカテゴライズするだけでなく、カウンセリングやインタビューによって個別にアプローチをしその人に合った治療法を試行錯誤して症状の程度で患者に優先順位をつけることなく、平等に回復に向かっていくようするべきであると考える。